四姉妹の暮らし

双子が「すっぽぽ~ん!」の時の話

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四姉妹の長女&次女の出産の時の体験談をお話しようと思います。

もうかれこれ12年前…(*´▽`*)むか~しむかし…

Contents

予言?予感

とある占い師(沖縄ではユタと呼ばれる)のおばあさんが・・・っていうんじゃなくて(笑)

私の母は、「二卵性双生児」。なので遺伝的に隔世遺伝しやすいな~っと思ってました♪そして、私の父方にも双生児あり。なんと、結婚したら旦那の親戚にも双生児いた!

「あ!私は双子生むかも( *´艸`)」っと周囲に話してました♪(予言)

妊娠したかもしれない!っとなった時、結構分かりやすく感じたのです。

お腹の下側が生理前でもないのに、ヒリヒリするようなじりじり焼けてるような…変な痛みが2~3日続いてました。(その間のおりものが、血が混ざったようなピンクで、着床出血だった様子)

生理日から5週目(妊娠5週)で検査に行ったので、早すぎて先生に「また来週来て」と

2回もフライングでエコー検査して妊娠確定!!卵が一個だけの普通の妊娠でした。

予言はずれ!!(‘◇’)ゞ

って思ったのもつかの間に、先生が納得できないような「ん~…」って顔で「二週間後また来て!」と言って、卵のエコー写真をもらえずに帰りました。

二週間後にエコーと内視鏡検査で

先生:「あ!見間違いじゃなかった! 卵が二つありますね~。二卵性双生児ですね。」

私:「イェ~イ! ラッキー♬」(´▽`*)

とアイスクリームの当たりが出た時のような感じでしたwww

余談ですが、妊婦検診は妊娠10週目になると母子手帳とともにクーポン券をもらえるので、お安く済むのですが、私はフライングで3回も内視鏡とエコー検査をしたので、約15000円程無駄に検査してしまいました。

初めての妊娠はやっぱり不安

ラッキー♬っとエコー写真にほくほくしながら病院をでて、冷静になると、初めての出産育児で双子ってできるんだろうか?実家は頼れないからワンオペ…

っと不安になってどんどん沈んでいき、旦那に電話で報告する時には泣き出してしまうほど、嬉しさと不安でごちゃごちゃの情緒不安定になってました。

今考えると、軽度の妊娠うつ&産後うつには何回もなっていて、そのたびに旦那に八つ当たりやら泣き散らしやらしていたと思います(゚Д゚;)

初産だけでなく2回目も3回目も、私の場合は軽度ですが「うつ症状」はありました。むしろ誰でも不安にはなるし、雑誌やSNSでキラキラ見えるのは表面だけ!

気分が下がっているときは、外部情報を遮断して好きな編み物に没頭してました♪おかげで二人分のベビードレスと帽子と靴下を完成させてベビ’sお迎えできましたヽ(^o^)

出産前にはしておきたい!を詰め過ぎ注意!!

出産するとお出かけできないから、今のうちに!!

っといろいろスケジュールを詰め込み過ぎました…

1月の予定日でしたが、

  • 11月末日までフル仕事。
  • 10月に結婚式&その準備
  • 車の運転免許取得のため教習所に通う
  • 新居を探す

運動が好きなため、体力には自信があったので、お腹が大きくなってきてもなんの違和感もなく動き回ってました。

ですが、忙しすぎと情緒不安定が重なり、家出をしたり家に帰れず暗くなってもバス停に座ってたりと、友だちにも旦那にも迷惑かける妊婦でした(;・∀・)

里帰り出産

飛行機の搭乗規定で、出産予定日の1か月前をきったら飛行機には乗れなくなるので、12月上旬で石垣島へ飛びました。

JALで事前に妊婦である手続きは済ませていたのですが、お腹がけっこう大きかったのでスタッフさんが驚いて、飛行機に乗せていいかの再チェックをしていたので私も慌てました。

乗れないと困る!病院の移転手続きもしちゃったし!!(゚Д゚;)

いろいろ同意書を書いて、なんとか乗れました。多胎児妊娠で飛行機乗る時は手続きに時間がかかるので要注意です。ネットで手配が完了してても、飛行場に早めに行った方がよさそうです。

石垣島では、私の両親がとっても大喜びで、手作りベビーベットを用意して待っていました♪ 父ちゃんは大工なので、柵が四方向どちらも開閉できて、収納もできるベッドを作ってくれました(フローリング板使用でめっちゃ重たいwww)

健康優良児の妊婦で、ギリギリまでなんのトラブルもなかったのですが、この時期の石垣島では産婦人科医が常駐できない騒ぎが起きていました。

1月の出産には医者がそろうので病院の移転許可はもらっていたのですが、「年末年始をはさむので双子に対応できる人数のスタッフが確保できるかわからない。」「もし破水して出血した場合、輸血のストックが島にある分で足りるか心配だから、管理入院してください。」

っということで、島時間を楽しむのもそこそこに入院となってしまいました。とくに子宮が開いているわけでもないので、安静にしなくてもいいけど、大人しく。点滴をすることもないので、毎日病院内を散歩するだけの生活が1か月ほど。暇との闘いは壮絶でした(:_;)

大部屋で向かいの妊婦さんがやっかいの種で、携帯で彼氏と喧嘩しているのを聞かされたり、見舞いに来ないと泣いていたり。毎日来てくれる両親と病室でおしゃべりするのも気を使って、ロビーで面会してました。

島の市立病院では、多胎児出産は帝王切開と決まっていたので、正月明けの一発目の手術と決まってました。理由は「縁起がいいから」ww

産婦人科の先生も看護師さんもスタッフはいつもの2倍。なぜか、正月そうそういい出産に立ち会いたいと婦長さんと先生の卵さんもいたり。不安を感じるどころか、手術室まで花道だったので笑えてしまいました( *´艸`)



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いよいよ出産!!

それからはスピード勝負。出血が進まない様にと寒い手術室で、赤ちゃんを冷やさないように気を付け、麻酔が効いたら、「切りますね~」「ちょっと引っ張りま~す」「はい1人目でました~」「二人目もすぐでるよ~」「胎盤だしま~す」「閉じてますからね~」「はい、おつかれさまでした~」っとゆる~い喋り方の先生でテンポよく終わりました。

赤ちゃんは羊水を拭いて、きれいにしてから一瞬抱っこして、写真パシャ!×2回

ちゃんと泣いてる~!!!( ;∀;)安心

流れ作業をよそに、私は無事生まれた?取り出せた?ことに感動してぽろぽろ泣いてました。むしろ麻酔の時からフライングで泣いてたような…

やっと終わる妊婦生活・未知の生物との対面・今後の育児…

いろいろごちゃませのチャンプルーの感情で涙腺が壊れてました。

赤ちゃんは先に新生児室に移動。新生児室前で待ち構えていた両親&旦那は一瞬会えただけで、インフルエンザ予防のため、面会謝絶で帰されたそうです(笑)

長女は2500gの標準体重でしたが、次女が2400gとわずかに足りなかったので、新生児救急室で数時間を過ごして、二人とも検査が無事に終わって新生児室へ帰ってきました。

私は全身麻酔が解けるまでベットから出られず、やっと自由に動けたのは翌日。

初めて赤ちゃんを抱っこできたのは二日目から。初めて抱っこした旦那は、「可愛い~…」っと静かに泣いてました(ノД`)・゜・。やっと実感できた~

初めての沐浴はパパから。私ばかり初めてを体験するのはもったいないので、何かと初めてチャンスはパパにしてもらいました♪

長女&次女の泣き方が独特で、舌が上顎に触れちゃうので、「あれれれれれ!」と巻き舌っぽく泣いてました。泣き声が面白くて面白くて、泣く姿を見て癒され( *´艸`)

新生児室で泣いたら、母室まで変な泣き声が聞こえるので、呼び出しの合図が来る前にお迎えに行けて便利な泣き声w

生後3ヶ月ぐらいまでは足首にミサンガをつけて区別してました。二人とも生まれた時から額と瞼に赤あざがあったので、それで区別できるように慣れるまでは長女→赤 次女→黄と色決めしてました。

出産後も順調に回復、赤ちゃんは成長して、スムーズに退院。

不思議なことに、じいじに抱っこされると泣き止むので、ミルク係はじいじ担当。ぐずぐず泣き止まないときも「じいじ~」と呼ばれて、ずっと抱っこしてました♪このミルクあやしスキルはとっても重宝して、四姉妹ともずっとミルク担当。おかげで石垣では四姉妹そろってジジっ子。ババが嫉妬してしまうほど、「ジジがいい~」っとよく抱っこしてました(´▽`*)

その流れのまま那覇へ戻ると、自然とパパっ子に。眠くてぐずる時、不調のときや病気の時の寝れない時は、いつもパパの胸の上じゃないと眠れず。パパは座ったまま寝るのが上手になりました。

ママの方が接している時間が長いのに、初めての言葉?もパパだったような…

那覇での生活はあまりにも大変で、不眠不休が続いてたので記憶があまり無い(;゚Д゚)

思い出したら記録していこうと思います♬

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